書評-『探検家の日々本々(ひびぼんぼん)』角幡唯介 2015年 幻冬舎

Book,titled Ordinaly days of a polar explorer

(2016.1.20初出)

誰もやったことがない旅。一人も到達したことのない世界。見たことのない場所。想像することのできない状況。昔から私はいつかそういう旅をしてみたかったのだ。それこそまさにイグジュガルジュグの言う、「人類から遠く離れたところ、はるか遠くの大いなる孤独のなか」であろう。たった一度の人生、そこを目指さずに一体どこに行こうというのか。  (第2章 ノンフィクション海外篇 はるか遠くの大いなる孤独のなか より)

本書はノンフィクション作家で探検家の角幡唯介氏による書評集*書評を集めた本の書評を書いたのは、確かこのときが初でした。評の評ということでどこまでも重層的になり得る文章を書くのにどんなアプローチをとったら良いか(「対象A・の評」というところまでは例えるなら階段を一段上るだけの営みですが、その評を更に評することは「階段の上り方というものを知った・覚えた主体」がではあと何段上るか、上るつもりか、という営みに変質します。「上にのぼる(「下に降りる」でもいい)」ための体の動かし方を一度知った以上、後はどこまで行くかは当人の体力の問題に帰せられる(内発的規定に還される)ということです。一部の未開民族で人数の数え方が「一人、二人、あとは大勢」であるという話を想起させられます)。自分がこのとき無意識に採った手法は、現前しているものに張り付く。つまり文体に目を凝らすことでした(粘着することだったと言ってもよき)。後続の「2015年2月に発行され~」うんぬんはあくまで脇の情報、話のための枕であって、そういったエピソードを集めてきて著者の人物や書籍の位置づけや内容を浮かび上がらせる書評もありますが、それはせず、書かれている事柄とその書かれ方に向き合いました。なお、書評のスタイルをめぐっては初めて書評記事の告知をFacebookに投稿したときの言及がありますので、よろしければリンク先でご参照ください-。2015年2月に発行され、同年11月に毎日出版文化賞の書評賞を受賞した。知らせを受けて著者はブログで前々回受賞の辻原登氏、前回受賞の立花隆氏の受賞作タイトルと比較しつつ、「学識とは縁遠い、なかには下ネタさえ混ざっている、この“非文化賞的”なウイスキーボンボンみたいなタイトルの本が選ばれるとは・・・」と恐縮しているが、本書は「書評が評者の自伝になりうる」という新たな可能性を書評ジャンルに示した意味で画期的な一冊だと思う。「はじめに」にはこうある。

「私の場合、そうした人格的厚みを形成されたのがいくつかの探検行によってだった。探検の経験を通じた目で私は本を読み、その読書が新しい発見をもたらし、その発見が私の思考や経験や感性をさらに数センチ深めてくれた。経験→読書→発見→深化。これが読書と人間の相互作用である。」(p8)

書評者が探検家でなく単にノンフィクション作家であれば、「経験→」の部分は、対象書籍の内容を具体的にリアルに理解してリアルな臨場感のある評を書く*字数が許すならこれくらい噛み砕いて書きたかった箇所。その場合、「リアル」が重複するので後のほうは今回のように別表現に-助けにはなるが、厳密な意味では必須ではないはずだ。*改訂。改行-

それに比べ角幡氏は、例えば「同一状況下における状況と状況のすれ違い」と題した中島京子著『小さいおうち』の評を、「そういえば最近、雪崩で死にそうな目に遭っていない」と書きはじめる。角幡氏には、過去に自身が何度も雪崩で死にそうな目に遭ったことがあること*雪崩で死にそうな目に遭うことが日常でない読者(つまり大抵の一般人)に向けた書き方としては、今回の赤字も含めた書き方が正確であり、一瞬当惑もさせないぶんスッと頭に入りますが、あえてそうしませんでした。普通に聞けば「えっ!? えっ!? 雪崩? 死にそうな目? 最近て!」と驚くのがここで書かれている事柄への反応なので、一瞬の当惑を残すことはむしろ、(読み手には微妙な違和感としてしか感覚されないとしても)著者の文体を評者の評文で再現することになると考えたからです-は、この小説を読んで「同一状況下における状況と状況のすれ違い」というテーマを理解(発見→深化)するうえで必須の当然の*直前段落の「必須ではないはずだ。」に引っ張られて揃える意識が強くなりこうしましたが、今見ると普通に「当然の」でいいですね。むしろ「とーぜんの」のほうが、とぼけた感じの音感になって「当然でしょ」のニュアンスが出るので良さそう-前提になっている。すると、続く段落の最後で「私はもう少し冬山に登って雪崩に遭うような行動をつづけるべきなのだ」(p50)と書くくだりも、通常のようにレトリックとしてのユーモア*「べきなのだ」に実践家の得も言われぬユーモアが潜んでいます。「つづけようと思う」との違いをぜひ感じたい箇所です-で終わらずに、現実の意思として成立してしまう。「それで(つづけることで)どうしたか、どうなったか」をルポする必然を未来に向けて生ぜしめつつ、だ。なんと恐ろしい文体だろう。*この「恐ろしい」は、「これを続ける限り書くネタに困らない。書く必然が書き手のなかで枯渇することがない。文章を生業にするうえで何という幸せ。と同時に、書くことから抜けられない人生を文体の側から規定されるとは、何と恐ろしい…」というニュアンスです。羨ましさと(仮に自分もそうなったときの)恐ろしさとが綯い交ぜになった気持ちを、今見ても思い出します…。-

*

著者にこの〔文体⇄人格的厚み〕の回路をもたらした探検の一つが、ヒマラヤ山脈の東の果て、チベットにあるツアンポー大峡谷の単独探検だった。大学探検部時代から思い決めてきたこの「地上最後の地理的空白地帯」に、それから15年近く経った2009年の冬、著者は挑む。詳細はぜひ本書を読んでほしいが、一部だけ抜粋する。

「来る日も来る日も険しい峡谷の藪の中を漕ぎ続け、そのうち目の前に最大の難所である高さ千メートルの灰色の岩壁が姿を現した。‥中略‥折悪しく、その日から雨が強く降り出した。濡れて黒々とそびえ立つ岩に、世界一ともいわれるツアンポーの激流がものすごい水飛沫をあげてぶつかり唸り狂っていた。もはやこの岩壁を越えられないのは明らかだった。‥中略‥氷雨は降りやまず、私の身体は芯まで冷え切り、足の感覚は完璧に失われ、少し立ち止まっただけでガタガタと震えが止まらなかった。寒さが耐えがたいものになってきた頃、しかし私は幸運にも雨を完全に避けられる岩室を発見した。しかも近くには焚き火に使えそうな大きな松の倒木もある。これぞ神のおぼしめしとばかりに、私はザックを放り投げ、焚き火を熾してビバークの準備をはじめた。」(表現者の宿業 p39~)

氷雨はいつやむかわからない雪に変わり、峡谷を埋めていく。来た道はすでに戻れず、先の村にたどり着けるかもわからないこの岩室で、著者は1冊だけ持ってきていた文庫本のサマセット・モーム著『月と6ペンス』を読む。食糧を一日300kcalに切り詰め、焚き火の横でそのまま4日間、画家のゴーギャンの一生をベースにしたこの小説が描く表現者の宿業に思いを馳せるうち、著者は自分のツアンポー探検もまた、「死ぬかもしれないとか、そんなことの向こうにある、どっちにしても手をつけなければならない、私の生きることそのものの表現だった」(p47)ことを思い知る。

*

著者の計画通りであれば、このレビューが掲載される2016年1月中旬頃、著者は近年挑んでいるという「北極の極夜の長期放浪」の探検を続けているはずだ。昼も太陽が昇らない極北地帯を、4ヶ月間一人で、GPSなしで、手製の六分儀と星で位置を計算して、そり犬一匹だけで氷原を移動して生きる*普通に書くなら「移動する」でいいですが、そんな場所をそんな陣立てと装備で移動するのはそれだけで死に直結する行為であり、日常とちがって無意識的・自律的生が恃めないのだから、こう書かないと不充分だと考えました-という探検である。著者はコーマック・マッカーシーの小説『ザ・ロード』を読んで極夜の探検に取り憑かれた。ジョーゼフ・キャンベル著『神話の力』、デンマークの探検家クヌド・ラスムッセンの探検記『Across Arctic America』にも導かれたようだ。この『ザ・ロード』の評が、本書が収める書評の最後である。ちなみに本書には「はじめに」はあるが「おわりに」がない。次の書評集にもないだろう。あとがきが付けられないのは氏の文体が必然的に招く帰結である。探検家でない評者は嫉妬するより他ないが、そんな書評、リアルすぎておもしろいに決まっている。

 

 

当時は原稿を書き上げたら対象書籍の版元の編集部に電話して担当編集者さんに取り次いでもらい、書評させていただいたこと、記事がいついつの日に出ること、よろしければ掲載後にURLもお知らせすることをお伝えしていました。「あっ、そうなんですね(わざわざ知らせてきたの?事前に?)」という反応がほとんどで、だいぶ後になってからは、こういうのは要らないんだな、と悟って止めましたが、当時は自分のライターとしての名前を耳通しさせる下心もあって、伝えていました。あちらからしたら悪い話ではないですしね。
 ちなみにこのときの担当編集者さんとのメールのやりとりを今見返すと、もう時効でしょうし出して問題ない話でしょうから出しますが、最終段落冒頭「著者の計画通りであれば、」に関し、角幡氏、レビュー掲載前後ごろは計画が狂ってしまってまだ東京にいたそうです。
「いよいよ探検スタート、のときに、オーバーステイが発覚し、強制退去となってしまったのです。ほんと、なにをやっても面白い人です……。」
と編集者さん(原文ママ)。対する私の返信は、
「計画どおりにいかなかった顛末も込みで、後々の材料にできるのが角幡さんの強みですね。なにをやっても面白い……また嫉妬するばかりです。」でした。「嫉妬する」はもちろん、記事ラストの「嫉妬するより他ないが、」にかけていました。
 そんなエピソードも込みで、このお仕事は特に印象に残っています

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